手乗りのページ
我家のインコは、月の輪インコ(ワカケホンセイインコ)で、 インドから中国南部の産らしい。適応力があり、日本でも野生化しているという。 夏場はカゴに入って屋外に出ている時間が多かったが、雪国の冬は1日中部屋の中。 一度脱走(脱飛?)したので、翼は4枚切ってあり、飛び回ることは出来無いが、 嘴と足が強く、好奇心旺盛で何でも噛んで破壊する要注意鳥。 「緑太」と名付け、愛称で「ミータン」と呼んでいる。 幼いうちに親から離されたので、自分を鳥とは思わず、私を親だと思っているようだ。 人懐っこいのと怖がり?なのか、一人(一羽)でいることが出来ず、 部屋に誰も居なくなると大きな甲高い声で呼んで困っている。 分離不安症? いろんな鳴き声を出す。赤ちゃん時代の甘え声とミータン(自分の名前)と 人(私)の笑い声を発するが、残念ながら言葉はしゃべれない。 2003.02.03. |
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好奇心旺盛で、針仕事にチョッカイ。 | なぜか髭剃りに興味津々。 |
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私達の食べるものは何でも食べようとし、 好物は・チョコレート・ご飯・餅・納豆・イモ類・りんご・パン・ビスケット等です。 |
以上は2002年4月から2003年1月までの記録です。 ミータンはメスで私とペアのつもりでいます。 かつて我が家にいた手乗りの文鳥やオカメインコも、私を相手として 卵を産んで困りました。 |
私が入退院を繰り返し、遊んでやれなくなってからは、 籠から出るのを恐がるようになりました。 今は、玄関に置かれた籠の中に居て、毎日私の手からヒマワリの実をもらい、 おやつを催促してピーピーと赤ちゃん声を出して甘えています。 |
2006、01、29、 更新 |
一緒に食事が出来るようになったのに、オーストラリア原産で寒さに弱かったのです。 秋10月の急な寒さで風邪を引いて喘息発作を起こし、 病院でレントゲン検査の結果は、重度の肺炎。 暖房を工夫し毎日飲み薬を与えるも、一週間余り頑張って命尽きマシた。 春3月から半年の短い間であったが、印象強く、この愛らしさを忘れることはありません。 2006.01.29.追加 |
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2007年お正月。長男夫婦が大阪から帰省し、家族が全員集合したので、 久しぶりにミータンも籠から出しました。 もう翼は切ってないのだが、 私の肩から離れようとはしません。 ナッチャンとの挨拶を長男が パチリ ! ミータン4歳8ヶ月 ![]() 普段は玄関に居て、来客があると大声を出し 番鳥?を勤めています。 私が外出時、帰宅する前に呼び声をたてる 超能力を持っているかも? |
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2008.02.01. 追加更新 |
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ミータン 逝く 2009年5月14日 未明 | ||||
![]() 玄関が定位置で、来客があると大声で呼び、番鳥を 勤めていました。(写真は2009年正月の玄関) ミータンは私に恋をし、私が全てになってしまった のです。この春は籠の底で私を呼ぶ行動が多くなり、 卵を産む心配はしていましたが・・・。 5月8日午後、産卵できずに突然出血し、 尻から何かが出ていて卵管脱のようだ。 翌朝にはいったん内部に収まり、排便も出来た のに、夕方にはまた卵管が排泄腔より外に出たまま となってしまいました。 ガーゼで洗い拭き、消毒するしか出来なかったのですが、最後まで苦しむ様子を見せなかったのが 唯一の救いでした。
上の写真は5月11日に撮影しました。 私のそばに居れば安心しています。 2日後の13日は、新潟の大学病院に胸部CT検査に行ってきましたが、 帰ってくると声を出して喜ぶ様子があったのです。 夕食には好物のリンゴと、母さんが作ったホットケーキとサツマイモをおいしそうに食べました。 異常発生後1週間の14日早朝、籠の底で永久の眠りにつき、まだ温もりがありました。 自宅の南、玄関の正面にあるモミジの木の麓に埋葬しました。 私が外に出れば、いつでも見れる場所でジット見守ってくれるような気がしています。 合掌 |
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20011.02.07. 追加更新 |